2009年06月11日 (木)視点・論点 「ミツバチ異変と動的平衡」
青山学院大学教授 福岡 伸一
ミツバチに異変が起きています。昨年らい、日本中の農家から「ハチが足りない」という悲鳴があがっています。農水省の調査によれば、平成19年、3万9千あったミツバチの群れは、20年には5千以上も減少しています。価格も上昇し、東京都世田谷区ではミツバチが巣箱ごと盗まれる事件まで発生しているということです。
ミツバチといえばすぐに私たちはハチミツを思い出します。しかし、今、問題になっているのは、意外なことにハチミツを採るミツバチではないのです。スイカやメロン、イチゴなどの果実あるいは野菜を効率よく実らせるための、花粉の媒介役として、ハチたちが非常に広範囲に利用されているのです。
ある場所で野菜のビニールハウスを見学したときのことでした。わたくしは、ハウスの隅に小さな段ボール箱が置いてあるのをみつけました。怪訝に思って近づくと、たくさんのハチたちが箱の穴から忙しく出入りしているのでした。
つまり、現在、ハチは、箱入りの物品として、あたかも肥料や農薬のように便利に売り買いされているのです。そしてある意味で工業化した現代農業における、ひとつの歯車として使い捨てされているわけです。
ミツバチ不足の背景を探ってみますと、世界規模でハチの群れに何らかの異常が起きていることが分かります。主な輸入もとだったオーストラリアのミツバチに伝染病が発見され、現在輸入が禁止されています。日本国内の生産地でもハチの大量死が起きています。一方、アメリカでは、ハチ群崩壊症候群と名づけられた、ハチの奇妙な大量失踪が報告されています。ウイルス病だという説、ダニなどの寄生虫説、あるいは農薬による中毒説などが取りざたされていますが、いまだ真相はつまびらかではありません。
近代農業のもとで、ハチたちは品種改良がかさねられてきました。おとなしく、人を刺さない、それでいて効率よく受粉作業をこなすハチの品種が、極端なまでに均一化されてきたのです。
これは生物学的に見ると、非常に脆弱な状況といえます。ちょっとした病気や環境変化などのかく乱要因が来ると、均一な系はたちまち破綻をきたします。
生命現象を、私たちはよくメカニズムという言葉で説明しようとしますが、実はそこにあるのはメカニズムではありません。そこにあるのは機械論的な因果関係ではなく、もっと動的なものです。
そこでは、非常に多くの要素が絶え間なく動き、連携し、変化しながら、互いに律しあい、全体として均衡をとり、恒常性を維持する、そして、干渉やかく乱に対して復元する力を発揮します。私はこのような仕組みを動的平衡と呼んでいます。動きながらバランスをとるという意味です。生命、自然、環境はすべて動的な平衡状態にあるといえます。
動的な平衡状態に対して、局所的に、ピンポイントで、何かを操作したり、組み替えたりするとどのようなことがおきるでしょうか。操作の直後は、確かに、その部分の効率が上がったように見えるでしょう。しかし動的平衡は、押すと押しかえしてきます。沈めようとすると浮かび上がろうとします。部分的な介入はやがて動的平衡全体に波及し、平衡が乱れたり、あるいは逆襲をうけることになります。部分的な効率化は、決して全体の幸せにつながることはないのです。
ハチの異常の話を聞いて、私はすぐにあることを思い出しました。狂牛病の問題です。
狂牛病は、食物連鎖という、自然界のもっとも基本的な動的平衡状態を人為的に組み換えたことによって発生し、その後、複数の人災の連鎖によってこの地球上に広まったものでした。
乳牛は、ミルクを搾り取るために妊娠されられ続けます。生まれてきた子牛たちが飲む余地はありません。子牛たちを、できるだけ早く、できるだけ安く、次の乳牛に仕立て上げるために、安価な飼料が求められた。それは死体でした。病死した動物、怪我で使い物にならなくなった家畜、廃棄物、これらが集められ、大なべで煮られ、油を濾し取ったあとに残った肉かす、いわゆる肉骨粉が餌としてあたえられました。つまり草食動物である牛を、効率化のために肉食動物に変えてしまったのです。そして原料の死体に病原体が紛れ込んでいました。それだけではありません。安易にも人々は、肉骨粉の製造コストを節約するため、原油価格が上がると死体の加熱時間を大幅に短縮しました。こうして、羊の奇病であるスクレイピー病が、牛に乗り移り、その牛を食べたヒトにも飛び火していったのです。牛が草を食べるのは、自然界の中で自分の食べるものを限定することによって生態系全体の動的平衡状態を維持するため、38億年の進化の時間が選び取ったものです。それを効率の名のもとに、部分的に組み替えたため、動的平衡から逆襲をうけた。それが狂牛病の教訓でした。
私は、ハチの異常に同じ危惧を感じます。
そもそもハチは、自然界において受粉の道具として存在しているのではありません。昆虫と植物は一対一の利害関係にあるのではなく、複雑な食物連鎖網の結び目のひとつとして、生態系全体に組み込まれています。つまり、昆虫と植物の共生関係はもっと大きな動的平衡状態の中にあります。
にもかかわらず、その中で、ハチは人間の都合だけで効率的なツールとして極端なまでの道具と化してしまったのです。
動的平衡状態は、その内部にできるだけ多様な生命が相互に関係しあっていることによって維持され、また干渉やかく乱に対する回復力を保っています。近年、生物多様性が地球環境問題の重要課題として注目されるようになっています。その理由は、多様性が、単に生命の可能性を担保しているというだけではないのです。生物の多様性こそが、動的平衡を支える大きな力のみなもととなりうるから、重要なのです。
狂牛病をこれ以上拡大しないために私たちは何をすればよいでしょうか。それは実は単純なことなのです。牛を正しく育てればよい。つまり牛を本来の草食動物として育てればよいのです。
現在、大きな問題になっているインフルエンザの問題の本質もまた、私たちの生命観を問い直しているように思います。ウイルスが次々と変化を起こし、新型のインフルエンザが発生しつづけるのは、私たちがトリや豚をあまりにも集約的に飼育しているからです。ウイルスに、進化の実験場を与えているようなものだからです。
ハチの謎の失踪や大量死は、ある意味で、いきすぎた効率思考への、文字通り、イエローカードのようなものではないでしょうか。
多様性のない世界の脆弱さに気づくこと、そして、近代社会が単純化しすぎた機械論的な生命観、自然観を、動的平衡の観点から考える。そのような思考の転換を求める警鐘ではないか。そのように私は受け止めたいと思っています。